「ア、左樣よ。」 「如何なりました、どうしても千代が行くんですか。」 「どうも左樣でなくてはあの老爺が承知をせんさうだ。あの娘はまたどうでも厭だと言つて、姉に代れとまで拗(す)ねてるんだけど、……姉はまたどうでもいゝツて言つてるんけど……どうしても千代でなくては聽かんと言つてる相だ。因業(いんごふ)老爺(おやぢ)さねえ。」 「まるで※々(ひひ)[#「けものへん+非」、30-11]だ。そんな奴だから、若い女でさへあれば誰だツていゝんでせう。誰か他に代理はありませんかねえ、村の娘で。」 「だつてお前、左樣なるとまた第一金だらう。あの通りの欲張りだから、とても取れさうにない借金の代りにこそ千代を/\と言ひ張るのだから。」 如何にも道理な話で、私にはもうそれに應(こた)へることが出來なかつた。 兩人の家はもと十五六里距つた城下の士族であつたのだが、その祖父の代にこの村に全家移住して、立派な暮しを立てゝゐた。が、祖父が亡くなると、あとはその父の無謀な野心のために折角の家畑山林悉く他手(ひとで)に渡つて、二人の娘を私の家に捨てゝおいたまま父はその頃の流行であつた臺灣の方に逐電したのであつた。そして二三年前飄然と病み衰へた身躰(からだ)を蹌踉(よろぼ)はせてまた村に歸つて來て、そして臺灣で知合になつたとかいふ四國者の何とかいう聾(つんぼ)の老爺を連れて來て、四邊の山林から樟腦を作る楠と紙を製(つく)るに用ふる糊の原料である空木(うつぎ)の木とを採伐することに着手した。それで村里からは一二里も引籠つた所に小屋懸けして、私の家で從順に生長(おほき)くなつてゐた兩人の娘まで引張り出して行つて、その事を手傳はしてゐた。所が近來その老爺といふのが二人の娘に五月蠅(うるさ)く附き纒ふやうになつて、特に美しい妹の方には大熱心で、例の借金を最上の武器として、その上尚ほその父親を金で釣り込んだうへ、二人一緒になつて火のやうに攻め立てた。それでどうか逃れやうはなからうかと一寸の隙(すき)を見ては私の母に泣きついて來たのであつた相なが、同じやうに衰頽(すゐたい)して來て居る私の家ではなか/\その借金を拂ひもならず、まア/\と當(あて)もなく慰めてゐたのであつたといふが、いよ/\今夜限りで明日の晩から妹は老爺の小屋に連れ込まれねばならぬことになつたのだ相な。 それでも既(も)う今夜はあの娘も斷念(あきら)めたと見えて、それを話し出した時には流石(さすが)に泣いてゐたけれども、平常のやうに父親の惡口も言はず拗(す)ねもせずあの通りに元氣よくして見せて呉れるので、それを見ると却つて可哀相でと、母は切りに水洟(みづばな)を拭いてゐる。三人とも默然として圍爐裡の火に對して居ると、やがて兩人の足音がして襖が明いた。耐へかねたやうに妹は笑ひ出して、 「伯父さんが、ホヽヽヽヽヽ姉さんを、兄(あん)さんと間違へて、ホヽヽヽヽヽ。」